激走乗鞍、ベスト飛行

無事乗鞍で自己ベストの走りができたのでその記録を。

朝小雨と霧でどうなるかと思ったが当初予定通りフルコースでの開催というアナウンスがあった。しかししばらくするとゴールは大雪渓の短縮コースで進行は30分遅れに変更。2年連続の短縮荒天にテンションは下がるかと思ったが、何故か通しで冷静だった。諦めていたのとは少し違う。ただやるべきことをやるという腹をくくっていたのかもしれない。
結局肌寒い中のスタート、スタート後第一集団のペースは非常に速く甚五郎滝の手前で完全に逃がしてしまう。追おうと思えば追えたのかというと微妙で追いつけてもそこで終わってしまっただろう。そこから先は落ちてくる遅いライダーをひたすら交わして交わして、とにかく肺がきつくてそれが15分くらい続くと同じくらいの走りをしていても心拍が落ち着いてきた。国民宿舎の先1kmくらいだろうか。

そこで冷静になるとコースの斜度がそれほどではない事に気づく。もちろん高度を上げることが負担なのには違いないのだが、なんというか、足を回せるタイプの傾斜というか。そこでライバルたちがひいこらいうのを横目に「余裕があったので」ギアを上げた。緩斜面を猛然と駆け上がるのは爽快だが、肺も足も決してムリをしているわけではなかった。

この時点で、アレ、今日なんか調子がいい、これはいけるんじゃないかという変な妄想を抱き始める。そこでこの足を回す感じ、勢いを殺さない感じを大切にして走りはじめると明らかに今までとは違うスピードを坂を上っている自分がいた。チェックポイント1はもちろん給水をせず通過するが、ボトルはこまめに飲んだ。一口とか半口とかそういう単位。そこから先キツイ坂が現れ始めつづら折では少しペースが落ちるがふたたび急斜面はいつまでも続かないことに気づく。いつもなら急斜面に打ちのめされペースが落ちるところが、急斜面が終わると足が余る!なので上のギアに入れる。この繰り返し。

この時点で時計(!! タイマーではない、時計である。スタートは8:43ちょうど、目標ゴールは10:00ちょうど)を見てかなりペースがいいことに気がつく。同時に緩斜面でのペースの上がりが緩やかになり少しエネルギーが足りないのを感じていた。ここに来て補給がない事を少し後悔。しかし落ちてくるライダーの間を縫いながら懸命に粘りの走りを続けていると位ヶ原に到着、なぜかここからならあと少しという勘違いがありまた少しペースをあげる。と、なんとここで先行クラスの下山が始まる。ということはどんな激坂でも道路は真ん中までしか使えないということ。ちょっとこれはいくらなんでもクラス間で不公平なんじゃないのかと憤るがあとちょっとだからということで坂は楽なラインではなくスムーズに走れるラインをチョイス。森林限界を意識し始めるくらいで一回だけダンシング、ここまでダンシングはゼロ。そしてこの後もダンシングはゼロ。完全なシッティング走行。ダンシングをする必要を感じなかった。つまりギアが足りないとも思わなかった。機材と体はマッチし必要十分だった。

森林限界を超えると上空からの強風が吹きつけペースダウンするがそれでも他のライダーより余裕があるように感じた。既に空気はからからに乾燥し口に含んでも空気を吸っていると感じるにはあまりに心もとない。心境としては真空の宇宙を走っているようだった。この時点でゴールの大雪渓が目の前に見えてきてもう目標タイムとの戦いだった。もちろん欲が出ているから少しでも早く走りたいのだが、体が言うことを効かない。だからなだめすかしなんとかペースが落ちるのを防ごうと必死だった。何かのきっかけでがっくりとペースが落ちることを心配していた。後ろから抜かされることは減っていたが1車線の中で左側を走るライダーを交わし、その際後方を確認するのがとても負担に感じられた。後になって思えばこの確認は不要だったかもしれない。近くにいるライダーは空気でわかるし、離れているライダーが急加速して追い抜くにはあまりに標高が高すぎる。

そしてゴールがどこだかわからないなか、最後まで坦々と抜いて抜いてゴール。手元の時計では1時間12分すりきり。フルコースならどう考えても1時間20分を切れるタイムだ。

というわけで乗鞍だけでなくヒルクライムレース全てで考えてもベストと言えるレースをすることができたが、そのせいかどうか、自転車から降りると足の付け根、ちょうど臀部との境目で痛い。痛くて歩くのもぎくしゃくする。だが自転車に乗るとさらに痛い(笑い)。

晴天の乗鞍を背景に何枚か記念撮影すると早々に下山した。滞在時間は10分程度。

なんというか、色々なものがかみ合っての結果だったと思うが、正直不思議な気分。仕事は異様に忙しいし、体調管理もボロボロで体重は一時期より6kgは重かった。しかしそれでも諦めずにレース前ギリギリまで平日もローラーを回し、レース時間帯になれるため深夜残業をして疲労の極地でも早起きして会社に行き、怪我や故障につながる無理をしないように心がけ、酒も控え、油ものをさけ、、、涙ぐましい努力の上に成り立つタイムだったのかもしれない。


サポートしてくれたりんさん、チームの皆様、関係者全てにありがとうといいたい。また戻ってきます。その時にはもっといい走りができますように。