ついカッとなって大菩薩越え

ついにやつが帰ってきた。一度は封印に成功したかに見えたが・・・ま、そりゃムリな相談だ

無職生活2日目。自転車の実走行としては日曜深夜のガチ登坂練習と昨日の都市部100kmの影響か、はたまたそれ以外の影響か調子はよくなかった。
なのでとりあえず羽村まで言って様子を見ることにした。羽村についても調子は悪かったがいけるだけ言ってみるかと奥多摩方面へ向った。すると調子が悪いなら悪いなりに走れるようになってきてじゃあってんで大菩薩へとアタックすることにした。最も大菩薩稜でも大菩薩峠でもなく大菩薩ラインなのだが。まあ一応大菩薩だ。

奥多摩湖をすぎると道はゆるやかなのぼりとたまに思い出したようにどっと下るのの繰り返し。

隼でもクルマでもよく通る道であるが逆向きが多い。というのはまあ言い訳に過ぎないが正直走っても走っても頂上に着かない恐怖の旅路の始まりになろうとはあの時は思いもしなかった。
確かにクルマやバイクで来たときにはその道の長さに辟易としたような気がしないでもないがなにしろモーターが付いているのと付いていないのとでは、もっと言えばのぼりとくだりとでは全く違う。

もう付くはずだ、
いや違う、道はあっているはずだが
なぜ着かない、
迫る日暮れ、
たまる疲労

ようやく柳沢峠に着いた時には思わずガッツポーズで喜びをあらわにしてしまった。

柳沢峠でスプライトを補給し下山したがコレが大きな誤算だった。

峠は推定摂氏12度60-70km/hで下るには寒すぎるのだ。補給は下山してからでもよかった。風の吹き付ける細いループ橋を指先のブレーキに命を預けてひたすら下る。寒さで腕が震えると自転車が蛇行するのだ60km/hでだ。コワー。

ひとしきり下るとフルーツラインに入る。甲府盆地の東の端を走る展望道路、もとい農道だ。が、このアップダウンが堪える。この時点で走行距離は100kmを超えている。そして激戦の峠越えの後なのだ。
フルーツラインは10kmあるかないかでR20に合流する。が、当たり前ながらいきなりのぼり。繰り返すが激戦の峠越えを経て走行距離は100kmを超えているのだ。ペースは落ち痛む腰をかばいながら回復しつつ登る。そして本日のハイライト?新笹子トンネルに到達する。直前の道の駅やまとで蓬もちをほうばる。ストレッチしてリフレッシュするといよいよトンネルへ突入だ。トンネル内はそれほど空気は悪くないが左側はほとんどスペースがない。白線ギリギリを走るテクニックと何者にも動じない精神力が試される珠玉のサイクリング・コースだ。

さてトンネルを抜けるともう夜と言っていい時間帯に突入する。ついカッとなっているわけだからこういうことはよくある。道の駅で事前に準備したライトを前後に装着してあるので大丈夫・・・と言いたいところだが甲州街道は街灯が少ないので正直小型のライトじゃきつい。それでも普通に走れるのだから技術的には相当なものなのだろう。8年もやっているんだから当然か。

この時点で自宅まで約70km、合計220kmの旅路になるわけだが、幸か不幸か、いや当人にとってはいうまでもないが甲州街道の神様はスペシャルなプレゼントを用意してくれていたのだ。

初狩で通行止め。

ちょ、まて、甲州街道通行止めって正気か。迂回路ないじゃん。と思い警官に食い下がるがどうやら危険物を積載したタンクローリーが横転し危険な薬物が撒き散らされたらしい。呼吸も危険だから自転車一台どころか歩行者すら通すなと国に言われている、とつっぱねられ、(もっとも別なベテラン風はコンビニで食事でもしてれば開通するよ、と言ってくれはしたが、)コンビニでちょっと待っても開通しなかったので迂回することにした。

先ほど甲州街道が街灯が少ないと書いたが迂回路の山梨県道は険道であり当然街灯なるものは一切ない。点滅するライトが照らす一瞬先の未来を信じて踏む。が、もちろん初狩付近なのだから山道だ。この期におよんで山道は正直しんどい。だが本当にやばかったのはくだりだ。のぼりはスピードもたかが知れているのだが、くだりは、もうなんというかちゃんと走ろうとおもったら神レベルの集中力が必要。もちろんブレーキかけぱなしで下る。こうして散々遠回り(+15kmくらい?)し、残りの山道を平らげて無事帰宅したのは2350.出発が1320だったから10時間半の激闘がこうして幕を閉じたのだった。

リザルトは232km@みかんだった。

ついカッとなるのも楽じゃないが久々の200km越えはとにかく嬉しいのひとこと。あぁ帰ってきたんだなと実感する。

しかしこれ無職生活とあまり関係ないな。