見た目重視!地熱発電のススメ

脱原発デモが流行ってるらしい。小田嶋隆先生のコラムで知ったので実際のところどうなのかはしらないが、脱原発を主張する気持ちはわからないでもない。

原発をなくすと電気が足りなくなってしまってこまりますね。「だから」替わりには”地熱発電”がイチオシです。

基本に立ち返ると日本の発電所は主に水力、火力、原子力の3通りがある。のこりはおまけであり、まあ誤差といってしまってよい。

原子力をやめるのであれば水力か、火力かを推進するのが妥当だろう。水力はダムをめぐるダマーっていう人種がいるくらい(自分が該当するのかはこの際おいておく)見た目的に素晴らしいが、ナニ分自然を壊すし立ち退きとか結構ややこしいことになる。しかしいまさら火力発電つって石炭石油を燃やすのはちょっとあれだ。そもそも温室効果ガス削減というちょっと意図がよくわかわからない京都議定書を先陣切ってサインしたのは日本だし、やめておいたほうがよさそうだ。

となると俄然風力や地熱、太陽光などがスポットを浴びるわけで、メガソーラーなんて聞いただけでわくわくするようなキーワードがニュースをにぎわせている。

いいねぇ。

風力発電の巨大風車の下に立つと、翼が風を切るヴオォォンっていう音と軸が摩擦で発するジーンっていう振動がこだまするそれなりのサイバーパンク感を満喫できる。(地元の人は正直かんべんしてくれ、っておもうだろうね、決して風車がエコだからという理由であんな大きな翼が回転するのをみていて、嵐で飛んでこないかとか、整備不良で壊れて大変なことにならないか、とか、心配がつきないだろうねえ) 
太陽光発電はなんといってもあのパネルの色!宇宙的な何かを感じるよね。実際に人工衛星太陽電池を展開してエネルギーを得るわけだし、まさに人類の未来に(量産化という観点で)貢献していると言えるわけだ。素晴らしい。(けど耕作不可能な土地に作るのならばまだしも農業用地を切りひらいてそういうところを作っちゃうとすると、本当の現地住民はどうおもうのかねえ、なにかこう、違和感を感じちゃったりするんじゃないのかねえ、いやまあ工場とか出来ても同じなんだろうけどさ、内容が内容だけにね)

だがちょっと待ってほしい。そのどちらも、地熱発電に比べれば地味である。地熱発電といえばボイラー塔!ボイラー塔といえば地熱発電。なのだ。本来ボイラー塔は火力でも原子力でも使うことが出来る代物だ。火力も原子力も地熱も、実際に電気を生み出す瞬間の原理はとても単純で、やかんでお湯を沸かすと蒸気が出るでしょ、それを風車でも風車でも当てればプロペラが回って発電できますよ、コレを狭い装置のなかでやるからタービンと呼んでるけど、つまりそういう仕組みです。となると蒸気は蒸気のままじゃまずくて冷やして再び水にしないとやかんに戻せないわけで、つまり”必ず冷やさないといけない”。火力、原子力では海の水を冷却につかっているからこのボイラー塔が必要ないわけだ。従って火力、原子力であっても内陸に造らなければならない国、たとえば海に面していない国などではボイラー塔を建設する必要がある。地熱発電は基本的に山間部で行う必要があり、この条件に合致するため、つまり海の水で冷やせないので、ボイラー塔が必要になる。

ボイラー塔の見た目上のメリット
・でかい
・まるっこい
・形的にバベルの塔みたい
・蒸気とか出てサイバーパンク
・電気通ってるのかという山の中に突如現れる人工物の異物感
・そしてなにより、音が、今にも爆発しそうな感がすごい

どうだろう。たいていの人はこんなものが家の隣にあると嫌なはずだ。というより俺はいやだ。確実に引っ越すっていうレベル。俺が疑問に思うののは、脱原発な人は、じゃあ自分の家の隣に地熱が(地熱とは言わず、じゃあ火力発電所とか、風力発電所とか)できてもいいと思ってるのだろうか。まあ、まず、思ってないだろう。というよりかんがえたこともないだろう。というより、それらがどういうものなのか見たこともないし見たいとも思わないはずだ。

結局自分に関係のないレベルで完結するだろう出来事だから、好き勝手な主張ができるのだ。小田嶋隆先生はデモが野蛮ではないことについて言及していたが、当然だ。正直自分とあんま関係ないところで誰かが泣いたり笑ったりすることに真剣になれるほうがおかしい。これは自分の家の隣に”風力発電所をたてるな”とか、”地熱がサイバーパンクで毎日不安です、どういにかしてください”という類の訴えではないのだ。東京に住んでこの手の訴えをする人は、一体何の被害を受けたというのだろう。放射能によりどれだけの被害を受けた、あるいは受けるというのだろう。

つまり現状は”とてもゆるやかで漠然とした不安”に対して、”とてもゆるやかかつ漠然とした”抗議を行っているのです、という至極まっとうな経緯があるのだ。
これで野蛮なほどのデモができたら、そっちのほうがヤバイ。

それにこのデモをやる時期もいまひとつだ。やるなら1年半前に福島や宮城の人間が食うや食わずでやるべきだった。今や政府や関係各位の暖かな支援を受けてしまっている以上、政府に対して強く出ることはできない。なぜやらなかったのか、などというつもりは毛頭ない。それはムリだろう。命の危険があるならばやったのかもしれないが、そういうわけではなかったんだから。それが現実だ。

だからもういっそ、見た目重視で地熱発電作ってしまえばいいと思う。作ってから、電気あまったから原発止めます、これしか方法はないと思うんだ。(でなければ討ち死に覚悟で経済活動を1/2にして、電気余ったから止めます、だけとこれは相当アブナイね)