アタック乗鞍岳かなりやばかったです

3000メートル週間を目標にしておきながら未だひとつも3000メートル級峰に登頂できていないことに若干焦りを感じつつ小雨の東京を隼にまたがり中央道で脱出、松本からR158で平湯へ。7時前には出たはずで特に渋滞はなかったがそれでも乗鞍畳平行きのバスに滑り込んだのは10:55だった。セーフ!曇りがちの天気だからついてないな戸か思っていたがとんでもない。雲海と北アルプスが織り成す景色は常識はずれの光景でただ眼を見開くことしかできなかった。
が、今日の目的は3000メートル級の登頂であるのでここはひとつ無難かつクールに口笛など吹きながら登頂しあわよくば明日は御嶽に、などと考えていたのだが。甘かった。甘すぎた。正直2700メートルの畳平の時点でかなり空気の薄さを感じていた。とはいえ自転車でフルアタックをして登ってきた場所。それほどでもないだろうとゆっくりと歩き始めたが正直つらい。頭が痛いとか気持ちが悪いとかならば我慢すればなんとかなるのだろうが、視界が歪むとかくらっとくる感覚は以前の高山病であまり感じなかったはずなのだが。心理的なものなのだろうか。などと後で振り返るのは簡単なのだがじりじりと頂上まで50メートル、いや30メートルというところでめまいと手と足の先の痺れにびびり諦めそうになっていた。すると道中追い越したおじいさん(すくなくても60以上には見えたが)が「どうしたの、あと少しじゃない」と声をかけてくれたのだ。熱中症以来努力や根性で何とかなる以上の世界に対してセンシティブになっていた自分には内心平気なひとにはわからないんだよな。日ごろの訓練で培った体力なら負けないんだがと負け惜しみをいい頂上の写真を取って戻ろうとしたわけだ。しかし60のおじいちゃんが登れるのだからと少し粘ってみると息苦しさはどこかへ消え去りまだ頭がぼんやりした感じが続くもののなんとか立って歩けるようになったのだ!き、きせきだ!
先日の富士山3000メートルチャレンジで”大人の判断”で目標を前にしてアボートしたがなんというか大人の判断というのは諸刃の剣だなと実感した。確かにアレは大人の判断だった。でももう少し粘れば3000メートルに到達したのかもしれない。今回奇跡的に意識は回復した。でももし悪化して意識を失ったらどうだろう。かなりまずい事態だ。めまいで足を踏み外し滑落したら?正直人生オワタな事態は星の数ほど想像できる。しかし今回は押し通して3026メートルの頂上を踏んだ。だから少し不思議な気持ちというか、コレでこそチャレンジというか、超えてはならない一線を越えたような。今までアタックなどと言っても本当の意味でのアタックをしていなかったと本当の意味でのアタックをしてみてわかった。命がかかっていないとアタックとはいえないのだ。他人を殴るのであればこちらも殴られる覚悟がなければならない。ま、当たり前のことだ。だが。平和なこのご時世自分の命を天秤にかけアタックするなどとは簡単には言えないものだ。
なおこれはあまりばらしたくないが自分と同じ時間帯にジャージ姿の20代の推定大学生3人組は世間話をしながら登頂し下山していった。本来ここはその程度の山なのだ。だからなんで俺だけこんなに苦労してるのか、疲労なのか睡眠なのか精神的なものなのか、それとも体質的なものなのかと呪わずにはおれない。だがそれは前提条件の一つでしかなく答えはもう出ている。アタックする必要があるのであれば。アタックする。それでも俺は登るのだ。文句あっか。
下山して観光地っぽい食堂で高山ラーメンをすすっていると厨房の人がバイクできたんですか?寒いでしょ、昨日までは暑かったんですけどねだと。そうだね。寒さで手がしびれるくらい寒かったよ。これももう呪わずにはおれない。っけ。