鈴鹿8耐二日目〜振られなかったフラッグ

朝は9時起床だが調子はすこぶる悪い。命があるだけでもラッキーなのかもしれないと思うが、そこは判断の決めてにかける。今日は1130スタートの1930ゴールなのでもともと最後までいたら明日出勤できない。そういう意味ではスタートの瞬間だけみられればそれでミッション達成と言えよう。本当は直前に買ったCFがぎっちぎちになるまで激写してやりたかったがそれは欲張りというもの。スタートだけ見たら、55分休憩して5分観戦でもいいから、少しでも見たい!とサーキットへ向かう。R23中勢バイパスは回りに何もない完璧なバイパス。すいすいだ。しかし。また気分が悪くなってきてしまった。今度はジャケットを脱いで腹に巻いてるんだけど。それでも気分が悪くなったのだから仕方ない。コンビニで緊急ピットインし、飲み物と塩けのありそうなカップめんをチョイス。そして練り梅。飲み物は飲めたが、カップめんはのどを通らない。というより口に入らない。コレはよっぽどだ。熱もあるようだし、結局昨日と同じ症状ではないか。しばらく店内で粘ったが回復しない。どうする。今度は人影まばらなバイパス。救急車を呼ぶしかないと頭をよぎる。119を押すがすんでのところで思いとどまって病院の場所を聞くにとどめた。住所を話すと最寄の病院まで15分らしい。昨日の病院はと念のため聞いてみると20分、ということはバイクならば津生協病院が近い!ということで自走で向かうことにした。もはや命がけだ。もし状況が悪化すれば救急車が来ても間に合うまい。そこでジ・エンド。ここで待っていれば多少はいいのだろうが、症状はよくならない。サーキットは目と鼻の先なのに。遠すぎる。
結局少しの道迷いも含め10分ほどで病院着、ちゃんと場所は覚えていた。今日は熱が36.8.自分は平熱が低く36度前半から35度にかかることもあるのでこれはキツイ。点滴を売って貰い、病院の待合室で途中経過のメールを見る。悲しすぎる。しかし家に帰らなければならない。日が暮れるのを待ってサーキットに寄って、という案もちらりと頭をよぎったがそれ以上に死のイメージが強すぎて(実際事としだいによっては割かし簡単に駄目になるだろう)断念する。夕方17時に病院を出て家路につく。夕方とは言え日差しは厳しい。高速に向かうまでも厳しかったが消耗しきった体には高速ももはや安住の地ではない。御在所でピットインするとたまらずトイレの洗面所で紙コップを使って頭から体から全身に水をかける。すると一瞬我に返る。体力が消耗仕切り精神力を食いつぶしているのだ。そして再び夕暮の伊勢湾岸道を激走する。とはいえ日曜の夕方道は渋滞気味。名港のSAにまたもやピットイン。この時点で水を飲んでも塩が足りないイメージだったのでざるきしめんを頼み、汁まで飲み干す。これならラーメンのスープで汗を失うこともない。案の定この塩でかなり落ち着く。もう日のある高速も走ると危険と判断し、日が暮れるまで寝ることにした。外にでると風も出て快適な夕暮。携帯で経過を見るとトップハルクプロのまま。夕暮の伊勢湾岸道を再び走り出す。まるでオーロラのような綺麗な夕暮。もう十分涼しく症状が悪化することはないが、失った体力は戻っては来ない。慎重に慎重に走る。土岐JCTで中央に。日が暮れると少し寒いくらいだがこの寒さが心地よい。諏訪でハルクプロの優勝を知る。ヨシムラは表彰台すらなし。えー!そんな。しかし自分自身はより困難な状況だ。最後の試練が小仏の渋滞。すりぬけを駆使し家路を急ぐ。とはいえ安全第一だ。おかしなクルマにひやひやしながら23時自宅着。
生きて帰れた。なにか現実に現実感がない。この週末何度もう駄目だ、死ぬかもと思っただろうか。数え切れない。結果的に大げさだったのかどうか自分にはわからない。マージンがあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。でも可能性は十分にあったのは間違いない。
隼に乗って9ヶ月、3万5千キロを走破し、北海道から九州まで走ったのに最も大きく、今となっては簡単に見えた「バイクで八耐を見に行く」を失敗してしまったことも自分の中では大きな衝撃だった。このまま続けていいのかやめるべきなのかはわからないが今はただ休みたいと、ひたすら思った。