ぼくは勉強ができない

山田詠美ナリ。わかるかなーわかんねーだろーなー。そういえば山田詠美を読んだのはあとにも先にもこの一冊のみ。もとよりこの人は趣味じゃないのだ。この一冊だけすごく気に入ったんだけどな。ならなぜ読んだのかというと、友達からもらった気がする。気がするというと俺にこの本をくれた人は怒るかもしれないが忘れてしまったものは仕方ない。ゆるせ。
で、同期チキンがTOEICで目標達成したというグッドニュースを聞いてふと思ったわけだ。ぼくは勉強ができないと。山田詠美的には勉強はできないが、それでも〜というニュアンスであったがここではガチなニュアンスで勉強ができない。
とはいえ作中の秀美と言い訳だけはいっちょまえに似ているのだ。一言で言うと勉強なんてしてなんになるの、って思っちゃう。
勉強ができない=ここでは”することができない”ではなく”結果を出せない”という意味だが結果を出せないのは勉強をしていないからだ。なぜ勉強をしないのかの究極の言い訳が前述の目的の放棄である。つまりそんな目的にコミットする必要がないということ。目的を失ってどうして目標へコミットすることができるだろうか。いやできるはずがない。
んじゃーどうして目標にコミットする必要がないのかというと考え込んでしまう。コミットしても何も起きないから?自分自身が納得できないから?わからん。じゃあ目標に向かっている時にはどうであったかというと思い返せば正直明確に目標に向かった事などなくただ目の前にある難関を必死でクリアしていったら気がつけば坂を越えていたというパターンが多いことに気づいた。つまり意識して壁を越えたことがない?ということなのだろうか。よほどのアホか天才かわからないが、ただひとつだけわかっているのはやはり

ぼくは勉強ができない

たはー!