奈良ツーリング〜細道いつでも迷子地獄編

朝目を覚ますが寝覚めは最悪だ。寝ながら寝過ごす夢を何度もみるとは。やっぱり調子はあまりよくないらしい。
朝いちで向かったのは藤原京跡☆1だ。今ブームの平城京のわずか16年前に建設された日本発の中国風の都であり、当然そこに建設された宮殿も日本発の宮殿・・・なのだが今はただの原っぱとすこし盛られた土が残るだけだ。国破れて山河あり。だ。
そこから見渡せるのは大和三山。そのうち知名度としては筆頭であろう天の香具山。百人一首にも収録されている「はるすぎてなつきにけらししろたえのころもほすてふあめのかぐやま」の天の香具山☆2だ。田植えをしている人々の脇を通り過ぎ天の香具山神社からエントリー、上ること5分。登頂に成功した。もちろん無酸素、単独だ。だが登山家を気取るには標高が少し低かったようだ。頂上にも別な神社が。展望はないが木々の間から少し平地が見える。ここにも天皇の句碑が。
ここから橿原神宮☆3は目と鼻の先だが看板がわかりづらい。ユーターンにコンビにの駐車場まで駆使し神宮に向かう。初代神武天皇を祭ったやたらでかいこの神社は明治建立だ。つまりあたらしい。敷地には海軍の慰霊碑が立てられている。いわゆるカミカゼで殉国したヒトが祭られている。うちは祖父が海軍士官でレイテで戦死しているとだけ聞いているがカミカゼだったのか怖くて未だに聞けないでいる。この慰霊公園で朝ごはん。何もなければのどかな原っぱなんだがな。
そこから神武天皇稜☆4はまたすぐ近く。奈良はすぐ近くが多いなぁ。柵の着いた鳥居はここでも同じ。白い砂利が敷き詰められていつもながら不思議な雰囲気だ。
次に橿原歴史資料館☆5に。なぜか古代中国唐の陵墓特別展で1200円も払わされたが通常400円らしい。だからたかいって!日本の古墳はこじんまりしたものが多いが中国は半端じゃない。この資料館には埴輪や復元された巨大刀剣が保存されていたりしてなかなか面白い。神社の祭神は時代でいうとやはりこのあたりのセンスがメインになるのだろう(たとえば宝剣や鏡が飛鳥様式ということなのだろう)
資料館を出ると次に向かったのが本薬師寺☆6。平城京に移転された薬師寺が”もともとあったところ”だ。道はとにかくわかりづらい。看板立てておいてくれよまったく。モノは大きな礎石からりっぱな寺院であったことが伺えるが・・・今は民家の庭先(!!)になっている。地元のヒトの交流を眺めることができるが観光客は明らかな異物なので上級者にしかお勧めできない。
橿原は十分味わったということで飛鳥に向かう。細い道が多く大いに迷う。吉野川疎水がいい感じだが少しあたらしいかな。20年後にはいい感じになるかも、などという余裕はない。住宅地の路地に迷い込むたびに絶望的な気分になるのだ。で迷いつつもまずは飛鳥寺☆7に。日本初がゴロゴロしている奈良にあって飛鳥寺は日本仏教発祥の地はちょっと特別だ。まあ伽藍が日本初であったのだろうが、今では日本中を被いつくす寺院もこれ以前はなかったのだ。そう考えるとちょっと不思議な気がする。建物は再建されているが昔の礎石がむき出しになっていたり蘇我入鹿首塚があったりと存在自体が特別な場所だ。
そこから歩いても2,3分のところには亀状列石☆8が。亀の形をした窪んだ石に水が流れている。用途はわかってないが祭りとか占い用ではと。しかしこの亀のような石、とてもそんな古代のものとは思えない。ありがたい注釈がなければ地方の石材店の片隅にあるマーライオンwとあまり変わらないのではないか。
で、飛鳥といえば高松塚古墳☆9ってことで向かう。駐車場がわかりづらく一回スルーする。道の両側にひとつしかないのでスルーするとユーターンが大変也。古墳までは整備された公園になっている。古墳の脇には壁画館というのがあって、入館料250円はずばり壁画の模写を見るためだけに支払うのだ。しかし一点だけ良かったのはこの壁画、壁に展開されるとさぞかし綺麗に見えるが石棺にプリントされた現物イメージを、盗掘穴からのぞくという演出がある。息が詰まりそうな石の重みの中に壁画が描かれている。正直全然うらやましくない。屈指の芸術だろうと華やかな文化の象徴だろうと棺は棺だ。それとも俺が死んだら棺には東山魁夷でも描いてもらおうか?ナンセンスだ。古墳自体は小高い山のようになってかなり上の方まで上れるようになっている。頂上は緑の芝?に覆われた形で眺めることができる。形はよくわかるのだがうーん。なんともいえない。
次のウェイポイントは室生寺だ。ここの国宝十一面観音も期間限定なのだ。限定優先でまわろうという戦略なのだが、ここで明日香から桜井へ抜ける道は土日二輪通行禁止。がっかりして広い道に出ようと苦闘するが気がつけば吉野へ向かう道を選ぶしかなくなっており、県道15号は細く厳しい山道。ついカッとなってつっぱしり、これはもう神あるいは仏のお導きということで吉野に向かうことにした。太平記が日本史の入り口でありバイブルだった自分には吉野といえば後醍醐天皇、今回は後醍醐天皇陵を目指すことにした。少し回り道であったがそれほど道に迷わず途中山伏うどんなるものを食べると別の客が店のおやじに天誅組について聞いていたので情報の入手を試みたがどうも吉野から室生に向かう途中に吉村寅太郎終焉の地があるらしい。少しみとおしが見えたところできんぷさんじを回り、如意輪寺☆10を目指す。坂道がすさまじい。大型バイクにはきついよ。でも道としては非常に面白い。すれ違いにもバイクならそれほど困らない。あっという間に如意輪寺に到着。しかし駐車場が凄い坂だ。嫌な予感。目的地は寺のすぐ裏手にあった。他の天皇陵に比べるとこじんまりとした後醍醐天皇陵☆11はやはり門付の鳥居で守られているがまっすぐ伸びる杉?の木に囲まれ木漏れ日にたたずんでいた。歴史の中に紛れ込んでしまったような不思議な感覚。ちょっと遠かったけど着て良かったと思った。
残り時間をきにしつつ室生寺を目指す。R370と県道経由でR165を目指す。途中渓流沿いに吉村寅太郎終焉の地☆12の大きな石碑がある。このあたりは天誅組終焉の地であり街にはそこかしこに義士の碑が立っている。
暑さをこらえ途中道の駅でアイスを食べながら室生寺☆12へ到着。ここは女人禁制だった高野山に変わり女性も参拝できるようにした寺でその割には渓流沿いの山肌に沿って作られ地形的にはかなり厳しい。金堂で十二神将とともに文殊菩薩十一面観音菩薩を拝観したが600+400円の期待にたがわぬ素晴らしい像だった。十二神将も今にも動き出しそうで見ていて楽しいというか一家に1セット十二神将というか、そういう感じだった。それが可能な時代でそうしたいと思う人がいればそういうの売り出せばいいのにと思ってしまう。で、自然の険しい地形により五重塔とそこに続く階段はガイドブックに載りそうな山奥の寺院を150%ほどアピールしていた。バスできた多くの観光客もここどまりで帰っていった。自分はというと次にいけたとしてもゆっくりはできないだろうしここをもう少し見るかという気持ちで奥の院に向かったのだが驚愕。凄い坂&凄い石段。そして上りきったところにある舞台風の堂宇。見晴らしも素晴らしく空に浮いているようだ。昨日の三月堂といい、最初にここにそういう構造で作ろうとしたのは誰なんだろ。およそそんなことができそうにない地形に見えるのだがそれ自体が修行ということなのだろうか。
と、ここで時間切れ。針ICから名阪国道流入したのが1700ちょっと前、信じられないスピードで60の制限を無視し続ける車に目を見張りつつ対向車線でパトランプをぴかぴかさせる覆面パトにビビリながら伊勢湾岸道・東名を経由して帰宅。2340だった。休憩大目だったし流れもそれほど良くなかったけど7時間とはちょっと時間かかりすぎだなー
暑かったけどテンポ良く目的地を回ることができて総じて良かったんではないだろうか。それにしてもどの移動も必ず迷子になるのと、拝観料かかりすぎなことは問題だ。
出発時オド29611-帰宅時オド28431=走行1180km@隼