ついカッとなって長崎へDAY1

トラックの波にもまれながらひたすら東名を西に走る。普段はバイクで走る道を車で走るのだから余裕がある、のだがある種肩こりのような不思議な疲労感もある。あたりで日付が変わっただろうか。よく覚えていないので詳しくはロガーの解析を待ちたい。
静岡に入り、磐田を過ぎ、浜名湖を過ぎてもトラックの波は収まらない。ここまでほぼずっと追い越し車線を走り続けてきたがたいていが80-100未満で巡航し、少し道があると120位まで加速できるがそれは1分持たない。あっという間に80km/h同士のトラックの追い抜き合戦に巻き込まれて70くらいまで落ちるのだ。何かヘンだよ東名高速ってやつだ。しかしそんなマンネリにもちゃんと変化は起こりたいていそれはいやな方向の変化であり雨が降り出したのだ。深夜の高速で雨が降るというのは旅の始まりとしてはなかなかタフな状況。豊田東JCTから伊勢湾岸道経由で新名神を使うというプランを実行する。バイクだと雨の日に伊勢湾岸道というのはぞっとしないが車ならば平気だ。120-くらいで巡航できるし道もいい。ただ名港をつり橋で通過するのだけはいつ通ってもちょっとひやっとする。雨の横風という要素もあったし。そのまま亀山JCTまで進む。一般道で東海道徹夜走をするとたいてい四日市では夜が明けているので四日市や津といえば時間のかかるイメージが強かったが当然高速ではそんなことはない。途中御在所PAで休憩し、亀山JCTから新名神に。新しい道路らしく路面の状態はいい。雨脚もほどほど。長い長いトンネルを抜けると草津JCT、ついに関西だ。時刻は2時半くらいだった、と思う。車で関西に来るのは西日本半周の時以来、だと思う。でもまあ、それはたいした問題ではない。最近京都にはきたわけだし。京都を抜け、吹田JCTから山陽道に入る、つもりだが山陽道を走っている実感は薄い。このあたり地理感があまりないので看板に表示される地名がよくわからないのだ。天理のあたりで通行止めがあるという情報にひやり。そもそも天理がどこなのかもわかっていない。たいていロングドライブに出るときは目的地と経由地の簡単な地名だけで途中の地名を把握している人はいないだろう。ちょっとそうぞうすればそれが奈良の天理であることは簡単に思い出せるはずだが、雨の中、深夜半であることもありなかなか思い出せず。このあたり若干の判断力の低下が見られる。兵庫県に入ってしばらくは快調にペースをあげられたがやがて地形が山がちになりスピードが上がらなくなる。
今回の旅の相棒は二代目ホンダインサイト。いわずと知れたハイブリッドカー。初代がきてくれればいいなあと熱望切望渇望したがよくよく考えると町でもめったに見かけない絶滅危惧の珍車なのでレンタカーでたまたま来ることなどまずありえないんだろう。一代目はホンダイズムの塊のようなおかしなクルマだったが2代目は打って変わってプリウスをぱくり倒し、倒しきれずに逆襲にあったのは有名な不幸な車だが、外見はまずまず、かっこいいといえるだろう、ちょっとガキっぽい気がしないでもないがホンダとはもともとそういうメーカーなので気にしない。これはインパネや部品一つ一つについてもいえる。しかし悪くはない。が、問題なのは超低パワーなこと。フィットと同じエンジン(だとおもう)をセダンボディに積んでハッチバックもあって重いバッテリーとモーターを積んで、パワーウェイトレシオが残念なことになるのはまっとうなことなのだ。よって坂では少し少なめな数値がスピードメーターに表示され、レッドゾーン手前の6000rpmまで踏み込んでも鞭打たれたやせ馬程度のノロノロ加速しかできない。別段今にも離陸しそうな隼の加速と比べるような意地悪をいうつもりもないが、車の基本性能についてはドイヒーな状況であった。
兵庫で一度給油。東京から兵庫まで無給油で来られるというのはいい。前述の加速性と引き換えのアレなのかもしれないが。そしてガソリンを入れたときの給油量も少ない。30リッターそこそこだ。そもそもタンクはたったの40リッターだ。隼の倍。燃費はまだ計算していないがメータ下部のマルチインフォメーションディスプレーを見る限りでは隼とあまり変わらないか、ちょっと良いという程度だろうか。
そのまま岡山まで走るが若干眠気を感じたので停車して仮眠。1時間程度だろうか。旅の前同僚に高速でロングドライブすると仮眠したあとであってもなくても車線に出たら100km/h出さなきゃだめというのはテンション的にきついよね、といわれていたが、なるほど確かに今回もそうだった。とはいえ過去にも何度かはそういう経験をしたことがあるはずで忘れているのは人間の脳がこういう辛く苦しい(笑)経験を忘れさせるようにできているからなんだよね。便利だ。
給油後も淡々と山陽道を西に向かう。多分岡山のどこかで最初の仮眠。眠気というほどのものではなかった気がするが、1時間ほどで起床、そのまま広島でも一度仮眠し、1130に下関着。予定では東京下関1000kmなので100km/hで10時間、22時発だと翌8時着だよね、といっていたので3.5時間遅れだ。しかし、まあ、山口まで来てその遅れでは予定範囲内。もともと最西端には日のあるうちに15時くらいに来られればいいな、という程度の感覚だったのでこの遅れは想定内だった。下関は本当は関サバが食べたかったが食堂のメニューにはなし。かわりにふぐ丼のふぐ汁つきというふぐづくしな昼ごはん。朝ごはんを食べていなかったがどういうわけか味は微妙だった。しかし食堂は渦潮ビューと行きかう船を眺めながら食べられるいい場所で商船漁船軍艦といろいろな船が目の前を通り過ぎる。
食後には眠気が来るかと思いきやぜんぜんそんなことはなく天気が再び崩れて雨がぱらつく中、鳥栖JCTから長崎道に入る。九州自動車道ではないのでIC番号は1からリセットだ。とはいえここまででいったいいくつICを過ぎてきたのだろうか。考えると気が遠くなるので考えないことにする。長崎道に入ると施設の格はぐっと下がりパーキングもトイレと自販機のみという場所が続く。しかしコンパクトなPAのほうが正直機能的だ。たびの趣旨からするとこっちのほうがいい。佐世保道に入るとすぐに料金所。料金は2810円と表示される。東京から厚木が710ということだろうか。その後も道はつながっているが管轄が違うという意味だろうか、200円、150円と別料金を徴収される。が、すべてETC。ETCべんりだぁ。
佐世保で高速を降りると目指す場所は一般道でおよそ35kmほど。途中給油も済ませて渋滞のなか町を走る。高速どのギャップがなんともいえないが、割り込みの多発するマナー最悪なローカルルールも含めて遠くまで来たんだなという感想。佐世保は造船の町として記憶していたが現在でもそのようだ。大型のクレーンと巨大なドックは存在感抜群。そして山から海の急峻な地形が生んだ入り江が町のあちこちに見られる。あれ、また海なの、というわけだ。
そしていよいよ目的地日本本土最西端の神鼻崎に到着。県道ですらない細い道はおそらく漁港を使う人専用といった意味の生活道路なのだろう。突端が道がわかりづらかったが無事到着。東京から1246km、火山岩がむき出しになった海岸には記念碑が立っている。天候は回復し穏やかな日差しで風はない。まさにベストなタイミングとなった。岬からは平戸や九十九島が見えるのでここが果てであるという感覚はあまりない。が、本土というくくりでは最西端であることには間違いがない。この事実とたった14時間しかかかっていないという感覚が交錯するは旅人としては至福の瞬間なのだ。芝生の広場には地球を模したモニュメントが。最北端宗谷岬、最東端納沙布岬、最南端佐多岬、そしてここ、最西端神鼻崎が示されている。佐多岬はびみょーにとり逃しているともいえるかもしれないが、最後になってしまった最西端に到達した感慨をかみ締めつつ岬を後にする。というのも今日中にある程度戻っておかないと明日大変なことになってしまう。悲しいサラリーマンである自分には休みは土曜日と日曜日しかないのだ。
佐世保市外に戻ると再び渋滞が待っているが、町並みは悪くない。商店の店構え、歩道橋などの道路設備、ホテルの看板、いたるところがレトロだ。そして単なる廃墟ではなく現在進行形で機能している不思議な感覚。昭和が忘れられない面々、平成についていけない面々(俺だよ)、忘れ物をとりにいきたい面々には良い町なのではないだろうか。
とはいえただユーターンするのも芸がないので佐世保バーガーでも食べていくかと思ったがいいタイミングで店がなくあきらめる。ハウステンボスは車窓から遠景を鑑賞。高校の卒業旅行で来たはずだが、まったく記憶にない。困ったもんだ。お城みたいな建物はでかくて遠くからでもよく見えた。九十九島を眺めつつ夕暮れの海岸沿いを走る。長崎まで行きたかったがまあ、これはバイクで来るための試走だしということで東ひのぎIC(ってなんかヘンな名前だな)から長崎道に乗ろうとした。が、まさに乗ろうとしていた東京方面が事故通行止め。通行止めって。正直高速そこそこ乗ってるけど通行止めは初めてだよ。ついてなさすぎる。仕方ないので目と鼻の先にあるカステラセンターに立ち寄ってお土産を調達、そしてこれまた歩いても30秒程度に都合よくあったリンガーハットで長崎ちゃんぽんを食す。長崎まできてリンガーハットなのが俺流だ。これを最後の補給とし一般道で嬉野まで出てそこから高速。夕暮れ時は車の量も昼間と比べると多めだったがそれでも走りづらくはない。途中佐賀県内で少し眠くなり仮眠、先は長いのにやれやれ、という感覚。30分ほど寝ただろうか、19時ごろ再び走り出す。この眠りから覚めたときの寝過ごした感がなんともいえない。
行きと同じ道だがカーナビがアホなせいで何度かミスコースしそうになる。日が暮れると道の印象も変わるしまあこれはこれで二度おいしいというか。福岡の夜景はチラッとみただけだがきれいだった。そのまま関門海峡を再び渡る。本州。時刻は20時過ぎ。これだけの行程だといったいどこまで行けばいいのかわからない。ゆっくりいけるところまでいってしまおうと思って中国自動車道に入る。山陰道ではなく中国自動車道である。というわけで山の真ん中を走る。降り止まない雨、下がり続ける気温、そして時折現れる深い霧。この霧には何度もヒヤッとさせられる。なにしろ視界がいきなりまったくなくなってしまうのだ。恐怖感からブレーキを踏まないように努力するのが大変(踏むと追突されます)。そんなこんなで看板の表示は山口、広島と表示されるがあたりは暗闇だし、いったい自分がどれだけ走っているのかまったくわからないまま減っていくナビの数字だけを信じてこつこつと進む。途中のPAではたこ焼きを買ってみた。高速以外ではなかなかみないのだがニチレイ自動販売機があるのだ。店が開いている時間ならば店でご当地のものを食べながらいけばいいんだけど、深夜だと仕方のないところか。おそらく島根の山奥で日付が変わる。眠気と疲労で仮眠休憩を繰り返し始める。なかなかタフな一日だったとかみ締めながら。