適当であるということ

今日は何とか中国から来ている人関係の仕事のめどが見えてきて先輩と飲みに行ったのだが1次会は普通に飲んで、2次会(朝まで)で既に出来上がっているはずなのだがどういうわけだか、アーこれ以上飲んだらヤバイかな、という感触にしたがって飲むタイミングをコントロールし、結局記憶を飛ばすこともなく朝5時まで飲むことができた。昔は飲まないと決めたらビール1杯、飲むと決めたら記憶が飛ぶまで全開という2択しかたなかったのだがこの選択肢の広がりは歓迎するべきなのかどうか。そして翌日隼納車なのに朝までというのはどういうことだろうか。