トリエラぁどうしよう

先週の障害のあおりを受けてたぶん今日も若干の居残りになることは覚悟していた。もちろんしていた。が、実際のところ何も決まっていなかったわけだ。そしたら常識で考えたら9時に出社するのが当然であるので9時に出社した。月曜日はやたら会議が長い上に別件で障害が発生し自分の担当ではなかったがお客様はそれどころではなかったため本日の作業についての会議が終わったのが15時だった。で、だ。15時に言われるわけだ。本日の夜間待機は26時までですと。
まあなんというか一番家が近いというか、歩いて帰れるのはおれだけなので俺がいることになるんだけどさ、9時からいるんですけど。26時までですか。しかも26時付近に最も精神力を要する資料解析と”保証”を求められるんですけど。あ、でも今日の分の仕事はありますか。え、「そのくらいじゃたおれない」「鍛え方が足りない」「先週約束してしまったから出ないわけにはいかない」ですか。ほうそうですか。

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あえて言おう、カスであると。

なら自分がでろよヴォケ!となるじゃあないか。しかも明日はお世話になった先輩の送別会なのだ。「飲み会だけであるよね」と言われさすがに出るわけねーだろ氏ねと言ってしまったが、悪いのは上司であり離任する先輩に罪はない。しかたなく出ることにしたのだが、この体質どうにかならないのかな。そういう要員の無茶無理無謀な運用が結局自分の首をしめ、徐々に全体として長時間労働と労働に対しての対価を求めない方向に向かっていることになぜ気づかないんだろうか。まあ安売りされる側にはいいんだろうが、それだって本当にいいことなんだろうか。
たまたま別件障害を起こしたのが普段は別部署にいる仲のいい先輩でその先輩もご無体な上司にいじめられているらしく劇ヤセして出頭してきたのを今日ばったり会ってしまったのだが、彼は激ヤセしてもにこやかで無邪気な笑顔なのだ。正直その笑顔に背筋が寒くなるのを感じた。なんというかもうこの世界にいないというか、一旦あちら側にいってなぜか戻ってきてしまったというか。
しかしそれ以上に怖いのはそれをみな見てみぬふりをしているということだ。人の使い方としておそらく少し違うかなと思っていても逆に強がってみたりする上司もそうだし、自分にはどうすることもできないからといってみて見ぬふりをする自分もそうだ。みんな自分がそうなるのが怖いはずなのだ。しかし降りられない。まあ生活がかかっているから当たり前だ。しかしいつ壊れるかわからずきわどい勤務をし続けるほどの対価をもらっているだろうか。微妙なところだがでも降りられないのだ。これはいいチキンレースですね。と思い別室で作業し自席に戻ると上司は挨拶もなく帰っているんだけど。これはもうさすしか。

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トリエラぁどうしよう

なお25時半から難しい判断が始まり26時半まで冷や汗脂汗他さまざまなものを流したのち解散となった。明日は午後からいけばいいし、小金井公園に野鳥でも見に行こうかな。うんそうしよう。