おこめ好きなら

お米っておいしい。最近そう思う機会が増えたのはいいことだ。

というのも。

食生活が自分の好きにできるようになってからというもの、選べるならば麺を選んでいた自分としてはおこめっていまひとつなーというのが正直な思いだった。が、同時に自分は母方の実家が米農家だった関係で、トラクターから田植え機、コンバインという三種の神器?を一通り触れて米作りを1から終わりまで実施するスキルを(ヘルパーとしてだけど)もっている都会生まれ都会育ちの割には珍しい人種でもある。機会があれば米食にシフトしたいと虎視眈々と狙うこと数年、ついに定期的に米を炊く生活が訪れたわけだ。

しかし我が家の炊飯器は元同期のK山から無料で頂戴した20年ほど前の電気炊飯器。最近はやりのおいしく炊ける云々などという機能はついていないのだ。しかも相方がずぼらなため(俺もだけど)普通の米ではなく無洗米をチョイスしており、さらに味的には不利!こまっちゃうね!

だからネットでお釜ほしいなぁと彷徨う日々が続いていたが、ふと我にかえると、お米好きならちゃんと炊ければ贅沢言うのはおかしいんじゃないということに気づいてしまった。そりゃ同じ米ならできるだけおいしく食べたい気持ちはわかる。けどどんな米であれ米には違いない。某AIRではおこめは幸せの香りがするんだというが、当職も全くそれに同意する。米を食べることは単なる栄養摂取の手段ではない。そこから幸せをもらう儀式なのだ(大げさですが)

というわけでK山の炊飯器はまだまだ活躍しそうだ。お米と同様、炊飯器も大切にしないとね。

八百万の概念によると炊飯器にも神が宿るのだからして。