かもしれない、じゃないかもしれない

facebookつながりでリンクをたどると普段は見ないサイトに行き着くことが多い。これがいいことなのか悪いことなのかはわからないが。
http://www.higan.net/news/2012/06/post-28.html
遅きに失した原発再稼動がようやく決まり非常にめでたいわけだが、上記サイトというか原発反対派の意見もまた違った意味で非常におめでたい。


原発に反対する人は、原発は危険だからやめようぜ、という。
しかし論拠の前提がこのタイミングにしては不可思議だ。

東本願寺原子力に依存する現代生活」を問い直す姿勢を表明(2011年7月7日、安原晃宗務総長)
放射能飛散と被ばくのいたましい現実から『原発』の誤謬性を思い知らされることであり、

全日本仏教会 会長談話「原子力発電所事故から思うこと」(2011年8月25日、河野太通会長)
事故による放射能汚染、廃棄物の処理について見通しがつかないという現状があることに言及したうえで、

臨済宗妙心寺派「宣言(原子力発電に依存しない社会の実現)」(2011年9月29日、臨済宗妙心寺派宗議会)
原子力発電が人類に制御できない危険なものであることが明らかになった今は

全日本仏教会原子力発電によらない生き方を求めて」(2011年12月1日、河野太通会長)
原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされ、処理不可能な放射性廃棄物を生みだして未来に問題を残しているという現実

東本願寺原子力発電所の再稼働に対する真宗大谷派の見解」(2012年4月24日、真宗大谷派解放運動推進本部長 林治)
「生きとし生けるもののいのちを脅かすことなく、

原子力は”人類に制御できない危険なもの”で”いのちの不安を脅かす”、”放射性廃棄物で未来へ問題を残して”、"放射能被爆のいたましい現実”があるもの、だというが。

え?んなこと、最初からわかってたのでは?チェルノブイリスリーマイル島をスルーしてここでそんなこといいだすんですかい?それって僕は馬鹿でした、って言っていると思ってOK?でその馬鹿な人の意見をいまさら聞けと?

断じて言うが、事後にこのようなことを言う輩はビジネスにおいても、プライベートにおいても決して信用することはできない。

アロンソだったらタイトルを逃してもこういう。
「あのときああしておけば良かった、などと全てが終わった後になってから言うのは簡単だ。この結果には失望しているが、ベストを尽くしたことは疑いはないし、もういちどああいう状況になってもそうするだろう。また来年ベストを尽くすよ」


で、原発に関して言えば、事故が起こることはあらかじめわかっていた。ちょっと予想よりも早いが。そして事故が起こった結果としてはまずまず、というところではないだろうか。今日も東京圏では二千余万人が日々暮している。長期的にどうか知らないが、短期的には御の字ではないか。

だから今日の事態は織り込まれていなければならない。それは原発だけじゃなくて、普通の工場でもそうだし、オフィスワーカーだって原発地震の被害の比じゃないほど毎年命を絶っている。飛行機に乗るのに命の不安を感じる人はまれだろうが、もちろん事故を起こす。これまでも起こしてきたし、これからも起こす。必ず起こす。断言できる。飛行機の場合は事故が起これば必ず死人がでる。百人単位でだ。決して助かることはない。

さて、あなたは飛行機に乗るのをやめますか?飛行機を廃止にしましょうか?あと、危険運転が相次ぐ自動車とかもこの世からなくしましょうか。あと自殺多いから中央線もなくしたらどうでしょう。どうぞどうぞ。俺は止めない。好きなだけ活動してくれ。しかし、だ。付き合いきれない。われわれが額に汗して作り上げたこのエコシステムをレイプしないでいただきたい。あと、よくわからないで世界を壊す片棒を担がないでいただきたい。

だからこれからも原発の電気使うし、飛行機にも電車にもクルマにも乗るし、オフィスワーカーやるんだ。たとえ原発はまた事故を起こし、飛行機が落ちて電車が衝突し、クルマが無実の小学生の列につっこんだとしても。
今われわれに必要なのはアロンソから学ぶことだ。だってほら、スペインのおかげでかなり迷惑蒙ってるし、少しは取り返さないとさ。そうだな、さしずめ、、、

「これからもベストを尽くすよ」

ってところかな



















ちなみに・・・知人友人には仏教関係者が多く(神道よりは多いとかそういうことではなく)仏教自体には当職は好意的なのだ。だから尚更精神世界の頂点を極めたはずの仏教リーダーがこのようなエコシステムにおける”効率的な市場理論”を無視した発言をするのかが疑問でならない。仏教的には今日明日おとづれる死におびえるのではなく、現世は長い輪廻の輪のほんの一こまにすぎず、従って長い眼で見て人類がどう生きていくのか考えなさい、となる。
となると仏教的に正しい考え方とは、原子力から逃げるのではなく、あらゆる叡智を尽くして原子力と対峙し克服せねばならない、なのだ。大事なのは”現世は輪廻の一こまにすぎず”の下りであり人間がその一生の中に実現できるとか出来ないとかそんな低レベルなことを言ってるんじゃない。それではあまりに浅はかというものだ。それは俗人の考えることだ。俗人の小泉ソーリですら国家百年の計だという。百年はちょっと短いな、と思う。既に日本は1500年程度の歴史があるのだ。次の1500年くらい見越していいのではないか。だがら本当に進むべき道は”現世”の枠で考えるべきじゃない。なのに今出来ないことを未来永劫できない、という。これは原発そのものの安全性もそうだし、それを扱う人間のあるべき姿(オペレーション的に)、リスクに対するリターンを最大化するということ(効率化とか)や、放射能の除去技術の向上、そして次世代のエネルギーの獲得など、前向きに取り組めることはたくさんあるはずだ。人間は死ぬ。必ず死ぬ。そう遠い先のことじゃない。でも。死ぬときには人類が一歩前に進んでいてほしいじゃないか
仏教が人の役に立つために現代に適応するのはいいことだ。だがブログを書いて出版関係に手を広げ、マスコミにナウい(笑)として露出することがそれじゃないだろう。上記のような考え方をする僧侶は見たこがなく、これが本当に現代に適応した仏教ではないだろうか。仏教は比較的最近まで先進性の象徴であった。いわゆる科学の普及以前には知識と知恵の伝道師であり、フロンティアランナーであったわけだ。ぜひとも科学に奪われた地位を上記のようなアグレッシブな考え方で奪還して仏の教えを世に広めてほしいなあと思う。