東北支援第5射 三陸海岸縦断2日目

6時前に目が覚める。はやっ。ホテルの窓からは朝日が。やっぱ朝日は太平洋に限る。

まずは金華山に向けコバルトラインを走る。とてもじゃないが観光客が来るところじゃない。そもそも途中で通行止めだったし。来るなということなんだな。北へ向うのに石巻まで戻らずにR398を北上する道を選らんだがこれは間違いだった。道は良くないしアップダウンばかり。

女川で初の衝撃に出会う。街がない。あるはずの街が。どこが道路なのかも良くわからない。看板もない。電信柱も電線もない。それもそうか、電気を供給すべき建物がない。R45にどこで合流したのかも良くわからない。が、これは序の口だった。

大船渡を経由して陸前高田まで来て愕然とした。一面が平野と化していた。高田平野。本日のチェックポイント「奇跡の一本松」は当然看板なんてあるわけもない。駐車場らしきところにみんなが集まっていたがもちろん一本松用の駐車場などではない。そして展望台は瓦礫の山。20メートルほどの3F立ての建物の屋上程度の瓦礫の山に三々五々登って高台から500mほど離れた一本松を眺めるというのがセオリーのようだ。とりあえず一本松まで行けそうだったので歩いていってみた。確かに一本だけ松が生えている。そのほかの建物は全て残骸になっているが松が一本だけ、立っている。なんというか、これは希望なのだろうか。よくわからなかった。木の周りはおそらく震災後に作られたのだろう、鉄板で囲まれている。そして根元には花が供えられている。



がれきのなかを食事の場所を探してさまよった。1年経つというのに仮設で営業している店はほとんどない。釜石から山田を経て宮古に至る。途中道の駅など山の上の方にある施設は無事で営業してはいるが客が集まりすぎて裁ききれていない様子だった。無理もない。ここはそれほど人が来る場所ではないのだ。人が来ないから営業時間は短く店の数も少ない。するとますます訪れる人は減っていく。この悪循環。それが震災前に見た東北の姿だった。だから今回の出来事とは直接関係なく東北の命運は尽きているのかなと感じていた。そういうところにこそ、惹かれる自分のようなアホもいるにはいるのだが。

三陸海岸のうち陸中の端、浄土が浜に到達したが震災の影響で歩いてはいけないといわれてしまった。このクソ寒いのに遊覧船の上から震えながら海岸を鑑賞しろと!?凍死してしまうよ?


通常にかんがえれば宮古からR106で盛岡に抜け東北道に入るのがオーソドックスだったがこの道は一昨年使用している(このときは水沢泊、平泉、遠野、釜石、宮古という順路だった。)ので今年は別な道、ということで大船渡まで戻って水沢に抜ける道をチョイスした。しかしこれがかなり遠くて海岸沿いの道はペースを上げられない。内陸に入ってからはペースは上がったが雪こそ路面にはないものの、雪解けの水が夕暮の冷えた路面をぬらす難しいコンディションだった。しかし流れはハイペース。もちろんレンタルカーターたるものシロート(おめーだよっていう説もある)に遅れを取るわけには行かない。持てる技術を全て使って水沢まで1時間ほど走った。さすがに疲れた。外気温計が4度に上昇した時にホッとしたわけだが、この気持ちは山を走るときにしか感じないもの。

地元でささやかでもよいので食事したかったが町は暗闇でめぼしいものは見つからない。郊外型の店はいくつかあったがそれでは微妙なので高速に乗ってからということにした。途中前沢で牛すじ丼を、長者原でマグロづくし丼を食べて給油し家路に。206になってから後続距離が伸びたのでむしろきつい。自宅まで450km連続走行した。

さすがに家に着いたときには足元がふらついた。車酔い?なのかな?

つかれた。