見るもんじゃないものを見るしかない悲しさ

箱根駅伝をテレビ観戦した。今年も激走あり涙ありで確かに見所の多いレースだと思う。なにより走り終わった選手が、ハーフマラソンのオリンピック標準記録に迫る走りをしているにもかかわらず、差を縮められたといって涙しているのだ。

まあマスコミにはアレは写してやるなよとも思うが、確かにあの光景は是非とも撮りたい絵なのも理解できる。勝者は一人で、残りは敗者、報われない9割はやりきれないだろう。ちなみに敗者はいないという表現があるが、それは勝利とレースに対する冒涜であるのと同時に敗者を侮辱している。

とまあそんなにだいそれたものじゃないが、わが身を振り返るとやはりやりきれないのはそんなレースを見て自分が走れないという悲しさだ。レースは見るもんじゃない、やるもんだ。でも見ることしかできない人もいるわけだよね。