YZF-125R!ちっちゃいとダメですか

当職は2009年から隼に乗って早4年が経とうとしている(去年は1000kmも乗ってない気もするけど)。最近ふとYZF125Rを道で見かけ恋に落ちてしまった。

だが心に引っかかる点があり、自分でもなぜ引っかかるのか納得できていないのだ。

それは。

バイクのりには不思議なヒエラルキーがある。「おっきい方がエライ」という、シンプルかつスマート?なルールなのだが、果てバイクを評価するのに本当に大きさ(重量?側面カウルサイズ?体積?排気量?パワー?パワーウェイトレシオ?)って重要なのだろうか。

確かにミッション原付(普通免許でも乗れるがスクーターではなくギアが着いてるやつ)に乗っていたころ大きなバイクは憧れだった。雲の上の存在であった。何故か?妄想以外の何者でもない。大きい方が早く走れるんだろう、排気量が10倍だと10倍楽しいに違いない。見栄えがいい(低下が違うからか??)。サウンドイカしてる。

いくつか事実もあるがカテゴリーを超越したバイクを作るスズキのその中でも頂点といわれる隼に乗って思ったのは、前述の妄想を体現するのはあくまでも人間であってお金を出して隼にまたがればそれで得られるという類のものではないということだ。頭ではわかっているのだ。わかっているのだがどうしても引っかかる。この峠を越えないと次のステップに進めない気がするのだ。とまれ、つまりコレは隼でやり残したことがあるということなのだろう。

まっつんにはちらりと話したがバイクはそれで何をするかがキモなのだとおもう。既にツーリングがその答えではないのはめぼしがついた。であれば次の旅路はどこに向えばいいのだろうか。ジムカーナ?それとも単に所有期間?カスタマイズ?はては敢えて再び距離に挑むのか・・・などなど

だが薄々わかっているんだ。齢30を越えいい歳をしたオヤジがライダーでいるというのはもはや永遠の旅路なのだということを。ゴールなどない。地平線の向こうにはまた新たな地平が広がっているだけなのだからして。