手段を目的に

会社でふとlinuxのドキュメントを探していたら、いつも使っているJFのサイトに翻訳がしたくなるかもしれないガイドというのを見つけてしまった。それを業務時間中に堂々と読んでいて気がついたのだが、翻訳という内容を知るための手段(まあ通常英文を読む程度の読みと翻訳はかかる労力は相当にちがうんだろうけど)でしかない行動を目的として考えている人がいるんだという事実がかなり新鮮で、考え方を逆転させれば色々とアレでナニと思っていることも違う解釈が可能なのではと考えさせられた。
とりあえずlinuxカーネルの付属ドキュメントのうちs390系が軒並み未翻訳なのは笑ってしまった。それ以前にs390の文字がlinuxカーネルの付属ドキュメントにあることのほうが感動すべきなのかもしれない。弊社の体質等々を総合的に考えて。