首都高徒歩一周(C1)。光が見られる!?→両足にマメが(汗)

今日はちょっと社会派で行きます。いつも「ゆきゆき〜」とばかりは言ってられません(恥)
写真はこちら→http://photos.yahoo.co.jp/varelius
0.首都高を歩くわけ
首都高があると景観が悪くなるから、川の上を走っている部分を架け替えましょう、という動きがあるらしい。首相も肯定的発言をしているらしい。首都高は俺たちの心のコース、簡単に架け替えられちゃたまらん。(違)(ちゃんと安全運転しております。もっともあのコース制限速度で走っても結構危ないと思うけど)
もとい、首都高に対する個人的見解は必要悪。そして意外とそのサイバーパンクなイメージが好き。以前から一周してみようと思っていたのである。山手線一周よりはずいぶん距離も短いみたいだし。
今回の目的は、果たして架け替えるべきか否か、自分の意見を持つための資料とすること、である。発言をするときには責任を持たなければならないのである。そこでせめて寒い冬の一日、その責任のために捧げてみようと思ったわけだ。

1.よぉいどん〜新日本橋
最初はおともだちと二人で回る予定だったが急遽キャンセル。一人で回るのはつまんないからやめようかなーと思ったが、まあせっかく晴れてるので12:00にJR総武快速線新日本橋に降り立つ。目の前はいきなり首都高。しかしこれはC1ではない。わかる人にはわかると思うが、C1は神聖なる特別な場所。4とか6とかとは格が違うのである。で、その池袋線の下を通って江戸橋JCT(のした)に出る。C1一周耐久ウォークスタートである。確かに江戸橋JCTの下には江戸橋がある。橋、である。そんなに長さはないが、とにかく薄汚れていかにもわびしい空気が漂う。ヤバイ。こんなのをずう〜〜っと眺めてなきゃいけないのかと早速なえてくる。
2.会いたくても会えない〜兜町
しかしその”萎え”もいきなり吹き飛ぶ。なんと首都高のこの部分には側道が無いのだ。つまり本当にビルの合間のわずかな土地をぎりぎりまで削って作られている高速道路、それが首都高だ。だから首都高に沿って歩こうと思ったらあっちこっちと遠回りをしないといけない。散々歩き回って、首都高にかかる橋(そう、首都高は高架と半地下、完全トンネルが組み合わせられた超高度アクロバティックサイバーパンクコースなのだ。)に遠回りして行き着くたびに、直前の橋がすぐそこに見えるのである。真っ直ぐ着たらどんなに楽だろうと思う。そんなこんなで兜町の横を通って、築地、裏銀座、このあたりでもううんざりしている。つまらない、と感じ始めている。でもまだ1/3くらいなのだ。

3.そっけなすぎる〜埠頭のあたり
その後新橋、浜崎橋のあたりは完全高架、下に一般道ありの回りには店も何にもない倉庫街を歩く。C1浜崎橋ジャンクションは恐ろしく細い支線が急なカーブを描く。一瞬出口の支線かと思ったが、浜崎橋から右折する道は一本しかない。すなわち、その細い道路に2車線分の命を踏みしめるアスファルトが懸架されているのだ。ここはとてもタイトでダスティ、途中でRの変わる難しいコーナーだ。

4.川との再会〜芝公園
浜崎橋から先は引き続き完全高架だが、川の上にあるため、再び側道はなくなる。暇つぶしに東京タワーをちらりほらりと眺めながら、コーンズのディーラーでフェラーリを眺め芝公園、赤羽橋あたりで東京タワーが最高潮に達する。一ノ橋は南方向、目黒線への分岐だが、C1はここで再び北上を開始し西麻布へ向かう。飯倉のランボルギーニアウディディーラーを眺めながら麻布の弊社本社ビル(最近手放しました)の前を通過。このあたりは大体高架、下も道路になっているから美しくも悲しいどす黒い建築物を十二分に堪能できるナイスポイントだ。ただ下の道路が騒々しすぎて、首都高をトラックが通過するときの「ドスン・ドスン」という、これ、いつか絶対落ちてくるだろ、という軽い恐怖心を感じることができないのはマイナスだ。このあたりで2/3を歩きり、もういい加減ファインダーの中の目を背けたくなる汚い景色に心がすさんでいる。谷町JCT通過。ここにバイク専用の駐輪場がある。社会実験だそうだ。一時間以内なら無料。バイク便か何かを想定しているのだろうか?一般的なバイクの使用用途を考えるとここに作る意味がよくわからないのだが・・・

5.日本の中枢、そこにもあるぞ、首都高〜三宅坂
そしてため池。ここからはちょっと雰囲気が変わり国会議事堂首相官邸霞ヶ関の省庁を警備するための警察の巡回がぐっと多くなる。警察の警備員ってのはどうしてこうも、鋭い目つきをしているんだろうか。あの目を見ただけで身分がわかろうってもんだ。と思いながらコンビニで買ったチョコバーをかじりつつ、溜池の坂を上る。首都高は半地下とトンネルを繰り返し、国会議事堂前あたりで長いトンネルに入る。この下が三宅坂JCT完全地下のジャンクションは走るものに強いストレスを与える。事故ポイントでもある。

6.私見半蔵門
最高裁判所国立劇場のあたりはかろうじて半地下、半蔵門あたりは完全地下だ。つくづく面白い構造だ。ある人は妥協の産物、日本観光の汚点というかもしれない。しかしこれほどまでに事務連絡関係各省庁妥協打算上っ面配慮的思想に満ちた道路ってのはそれだけで”関係各位”の存在を感じさせる文化遺産だと思う。これが日本人の生き方であり、成長のためになりふりかまわなかった我々の社会が目指したもの(だった)なわけだ。醜い構造物と引き換えに便利さ(いえ、それほど便利でもないのですが)。構造物が醜ければ醜いほど、社会が必死だったことがわかる。これを未来にシフトして考えると・・・筑波万博のころしきりに露出していたチューブを走る車のイメージがちょっと頭をよぎる。こりゃぁ、ヤバイ。
下を覗き込むと渋滞している。かわいそう・・・内堀通りは皇居側が幅も広く何時来てもランナーが走っている。軽いアップダウンのあるコースは確かに練習に最適だろう。でも、帰るときはどうするんだろう。やっぱり車で来てどっかに止めてるんだろうか??

7.爽快〜千鳥ヶ淵
千鳥ヶ淵の派出所の前を曲がる。冬なのではっぱゼロのさびしげな木立から千鳥ヶ淵の池の中から出てくるかのような首都高が見える。車で走るとこの直前の合流が結構エキサイティングなのだ。地上に出た瞬間の開放感は結構気持ち良いものがある。ただし、走行時は注意しないと池袋行きの分岐にはまってC1からおさらばしてしまう可能性もある。皇居の外辺の道を少し歩くと、土手に上れるようになっている。そこからやはり千鳥ヶ淵の水の上を走る首都高を眺められる。これは橋というには水面との差が小さいのだ。だから高架ではなく低架とでも言うべきだろうか。これが北の丸公園の地下に再び突き刺さる。突き刺さる直前には赤レンガの美術館がある。国立近代美術館工芸館だそうだ。写生している人がいる。最初に見えたのは一人だったが、15人くらいが同じ建物を書いていた。授業なのだろうか??

8.足が、アシガァ〜〜(ムスカ風に)〜竹橋
このあたりで足が痛み出す。小石でも靴に入ったのかと思うが、あとで確認したらまめができていた。左足。結構でかい。竹橋に向けての下り坂で毎日新聞社のビルが見えてくる。しかしこの道は若干首都高とは少し離れている。そこでまたしてもぐるぐると遠回りをしないといけない。竹橋JCT、一ツ橋、神田橋、と再び橋である。すなわち川の上を通っている。そして、この川には連続した歩道がないのだ。首都高移設より、まずそちらの方が気になる。いい加減足も痛いし、楽させてくれ〜とか思うが、やっぱりあっちこっちと揺さぶられる。そして暗く汚い景色。中央線の高架を電車が通る。新型車両など見向きもしないトラディショナル・中央線・オレンジがまぶしい。首都高とベストマッチングだ。新型車両や新幹線はあまり首都高とはなじまない。泥臭さが無いのだ。その分薄く、ひ弱にすら見えてしまう。高架をくぐると、常盤橋が二本ある。もちろん別の橋である。若干川面と高架の構造物との空間が広く取られていて、開放感がある。そして橋自体もちょっと歴史の香り漂う石造りのものがある。常盤橋、なかなかよろしい。その二本の常盤橋の間に災害時緊急避難用の船着場がある。ぜひここを観光用に開放して欲しいと思う。まあ、首都高がいかに最悪かを見るツアーになるだろうけど。船酔いではなく、げろ袋が必要なるだろう。

9.輝くエンブレム沈む夕日、贅沢は敵か?〜日本橋
そして呉服橋を横目に(なかば無視して)、日本橋である。三越の金エンブレムが夕日に輝く。ここだけ橋の装飾は豪華だ。そして、なんと!首都高の構造物にライトがついているのである。下を歩く歩行者のためだろうか、こんなところほかにはなかった。外壁もそれなりにアーティスティックである。一周してきた自分には「うそぉ〜ん」である。なにえーかっこしてんじゃ、ワレ!である。そして、世の人は日本橋(の上のC1)ですら、架け替えた方が良い、などとのたまっているのである。この贅沢もの〜〜アホンダラ〜〜と叫びたい気持ちをこらえ、本日のスタート地点である江戸橋に向かう。

10.ごぉるいん〜江戸橋JCT
4:30の鐘が聞こえる。だんだん暗くなってくる中、ついにC1一周耐久ウォークフィニッシュ!タイム4h30m。歩いた距離不明だけどたぶん時間と歩きのペース(結構急いだ、マメができる程度には。)15~18キロくらいじゃなかろーか。撮影した写真550枚。しかしその大半は汚くてここでは掲載できないのが残念だ。帰りに東京駅まで歩いて八重洲ブックセンター八重洲地下街のラーメン激戦区東京編に寄ったが、色々お寒くて最悪だった。こうして寒くくだらない戦いは静かに幕を閉じたのだった・・・

999.結論:(半)地下化以外に抜本的解決なし。経済的国家方針の国民意識の向上が必要
一日歩いてみての結論は、首都高の川の上の部分を架け替えたところで、意味ないじゃん、だ。川の上を走る部分はそれほど多くないし、それよりは街として空間をどうしたいのかというビジョンが大切だと思う。頭上を覆うように轟音を響かせる首都高は、川の上だろうともビルの隙間だろうと、はたまた一般道との二層構造だろうと、地上にある限りは空間のイメージを決定付けるのに十分すぎるものだ。もし観光のためにキレイナ空間を望むのならば、完全地下化以外選択肢はないだろう。費用はかかるだろうけど・・・
そして新たな問題が一つ。もし首都高を地下化して、首都高がこうなった経緯を忘れるならば、それは歴史認識上の大きな問題点となる可能性がある、ということだ。現在戦争などの比較的感情的問題に関しては歴史認識は厳格に行われていると思う。一方で戦後の経済的国家背策については歴史問題化されずに肯定されるでも否定されるでもなく、ただ、そうなんだという無関心無興味が支配しているように思う。ダンプカーが頭上を闊歩する現状を、「ストレスフルだから、そういうのはよくない」と思うか、「便利だからやむなし」と思うのか、まず個々人が自分がどう思っているのかをはっきりと”認識”しなければならないと思ったのだ。そして認識したあと、だれかに任せるのではなく、はっきりと自分の口で言うべきなのだ、と。じゃないと、戦争するべきか、しないべきか我々が決められなかった時代があったのと同様、健康で文化的な最低限度の生活が送れるか送れないのか、我々が決められない時代が着てしまうのではないか、とまぁこのようにおもうわけであります。

余談
帰りに地元本屋でデイトレで一億円、株で大儲け、NHKビジネス英会話海外勤務大滝怜治編を買う。買ったけど、株は難しくてよくわからん。もっとまともな本を買わねば、ということで特別予算15,000を心の中で設定。NHKのやつは精聴、シャドウイング用。リーディング用教材として指輪物語を検討中だが、ファンタジーは教材として微妙なのだ。日本の時代小説が現代の言語リズムと若干違うのと似ている。そこを押してあえてモチベーション・ドリブンによる継続性を重視するか、もっと現代的なモチベーションを発掘するか、どちらとも区別がつきかねる。そういえばハッキネンの伝記、まだ読んでなかった。アレから手をつけるカー。何か良いテーマはないかなぁ。